« 八重の桜:9月放送分 | トップページ | 八重の桜:11月放送分 »

八重の桜:10月放送分

第40回:「妻のはったり」より

Yae101「これまで日本では、世の中の仕組みを変える為に、人を殺め町を焼き、戦が繰り返されてきました。だが、今日からは違う。武器を持たぬ者が議論によって政治に関われる場が、この府議会なのです」(山本覚馬)

京都府会の初代議長に選ばれた覚馬が、議員席に向けて語った台詞です。


Go, go, go in peace. Be strong! Mysterious Hand guide you!(行け、行け、心安らかに行け。強くあれ。神の見えざる手が、君たちを助けてくれる)・・・同志諸君! 己の信じる道を歩んで行きましょう」(新島襄)

同志社英学校の第1回の卒業式で、襄が卒業生たちに語った台詞です。


「学生が授業を放棄するのも重大な過ちです。忘れないで下さい。教育を受ける事はあなた達の大切な、大切な権利です。過ちを犯した罰は受けねばなりません。全ての過ちの責任は、校長の私にあります。よって私が罰を受けます」(新島襄)

クラス併合の撤回を求めてストライキをした生徒達に、説明不足を謝った後で言った襄の台詞です。襄は杖が折れるまで自らの左手を打ちつけました。


「大人(たいじん)とならんと欲せば、自ら大人と思うなかれ」(新島襄)

新聞記者になるために学校を辞める徳富猪一郎に、襄が贈った言葉です。


第41回:「覚馬の娘」より

Yae102「知事と府議会の争いが続けば、新聞はますます書き立てるでしょう。戦いには敗れでも、義がどっちにあるかを、世に問う事はできます。戊辰の頃とは訳が違う」(山本覚馬)

知事の槇村の追徴税問題に、世論を味方につけて戦った議長の覚馬ですが、槇村の老獪さに負けました。覚馬は議会を去るのと引き換えに槇村を勇退させ、痛み分けに終わらせました。


「あの時、戦で家族が別れ別れになって、起ぎてしまった事は、もうどうにもなんねえ。昔を変える事は、誰にもでぎねえ。変えられるのは、先の事だけだ。・・・これからの事は、みねが自分で決めたらいい。兄様が望んでいんのは、みねが幸せになる事だ」(新島八重)

婿を取って山本家を継ぐために、母・うらと別れたと思い込んでいたみね。伊勢時雄の元に嫁ぐのを後押しした八重の台詞です。


「人民が国の舵取りをする時代が来るのです。一国の良心となる人物を、大勢育てなければなりません。それには大学が必要です。国の権力に左右されずに、自由自治の精神を貫く、私立の大学が」(新島襄)

国会開設の記事を読み、日本にはまだなかった私立大学の設立に向けて動き出した、襄の台詞です。


Yae103

第42回:「襄と行く会津」より

Yae104「ほたえな! 死ぬか生きるかゆうくらいで・・・。わしが死んだち、自由は・・・自由は死なんぜよ!」(板垣退助)

自由民権運動の演説会の後で暴漢に襲われた板垣。周りが騒然とする中で、刺された胸を押さえながら叫んだ台詞です。


「武士だけが戦うても、人民がそっぽを向いちょったら、国は滅びるろう。・・・人民に上下の区別があっては、日本は強い国にはなれんがやき。領民こぞって力を合わせちょったら、会津は焦土にならんかったかもしれん」(板垣退助)

新政府軍の将であった板垣は、会津戦争での経験から自由民権運動の必要性を感じたと言われます。意外にも、会津戦争はこういう形でも日本の歴史に影響を与えていたのですね。


「ただの記者になる気は、もうなかです。自分で新聞社ば作ろうと思うとります。・・・誰からも縛られんと、自由に記事の書ける新聞ば、この手で作りたか」(徳富猪一郎)

記者になる夢から、さらに大きな事に挑む猪一郎でした。後に本当に、新聞社を作る事になるようです。


「大事なものは、みんな、こごにあったんです」(新島八重)

変わり果てた故郷の生家の跡で、八重がつぶやいた台詞です。隣にいた襄は・・・。


「必ず、蘇ります。八重さんたちの、美しい故郷は・・・」(新島襄)

八重を元気付けました。


「今まで、大事に育ててくれた人を、ないがしろにしてはなんねえよ。悲しませたらなんねえ」
「あん時、私が自分で決めた事だ。・・・会津で生きていく」(うら)

一緒に今治で暮らそうと言う娘・みねの誘いを断った、うらの台詞です。


第43回:「鹿鳴館の華」より

Yae105 「お前さんが言うその高等教育で、この日本を生まれ変わらせるにゃ何年かかる?」(勝海舟)

「二百年・・・あるいは三百年かかるかもしれません。しかし今始めなければならないのです」(新島襄)

「十年とでもいい加減な事を言ったら、追い返すつもりだった」という勝。襄の応えに本気さを感じて、同志社大学の設立を応援する気になりました。


「いや、よい勝負でした。かつて命懸けで銃を撃ち合ったその手で、腕相撲が出来た。十五年・・・。誰にも等しく時は流れたんです。この手は形を変えると・・・」(新島襄)

大山巌と捨松の結婚を賭けて腕相撲をした八重と大山。捨松の本心に気付いた八重が負け、結婚の障害になっていた会津戦争のわだかまりも、乗り越えられました。八重と大山の握手が象徴的でした。


「時が乗り越えさせてくれるものもある。んだげんじょ、俺が忘れぬ内は相手も同じ。逆賊と呼ばれ続けんだろう。それでも百年後、会津が日本の誉れになる日が来っかもしんねえ。それはお前ら、若い者次第だ」(山川浩)

鹿鳴館で行われた大山巌と捨松の結婚披露宴で、山川浩が弟の健次郎に語った台詞です。


素材提供:薫風館十五夜Kigen

« 八重の桜:9月放送分 | トップページ | 八重の桜:11月放送分 »

八重の桜」カテゴリの記事

2014年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ