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八重の桜:9月放送分

第35回:「襄のプロポーズ」より

Yae091 「ようやく一つ報いる事が出来た。最後まで会津に尽くした者たちに、いつか報いたいと願っていた」(松平容保)

時尾と藤田五郎(斎藤一)の祝言で、仲人を務めた容保が語った台詞です。


「皆、命懸けだった。時尾に一度見せたくて、連れて来た。俺たちが会津と出会い、共に戦った場所を。よい所も、嫌な思い出しかない所も」(斎藤一)

時尾を連れて京都にやって来た斎藤が、新島襄に語った台詞です。『八重の桜・第3巻』には、こう説明されています。「襄は斎藤に大切なことを教えられたような気がした。人は過去から逃げることはできない。受け入れるしかないのだ、と。」(P.230)。それを学んだ襄は・・・。


「向き合った方がいい。辛くても。・・・三郎さんや、会津の大切な人たちが亡くなったこと、あなたがしっかりと受け入れなければ、亡くなった人たちは安らかに眠れません。あなたの心の中の戦も、終わりません」
「亡くなった人たちは、もうどこにも行きません。あなたのそばにいて、あなたを支えてくれます。あなたが幸せであるように。強くなるように」(新島襄)

襄に連れられて、三郎が戦った場所に来た八重。そこで亡くなった大切な人たちの声を聞き、八重の会津戦争が、ようやく終わりを迎えたようです。


「良いのです、それで。むしろ忘れないでいて欲しい。私は、川崎さんに喜んで頂けるような夫婦になりたいんです」(新島襄)

改めて八重のプロポーズした襄。「私は、尚之助様を忘れる事できねえがら」と言う八重に、襄が応えた台詞です。そして八重はプロポーズを受け入れます。


第36回:「同志の誓い」より

Yae092 「大事なのは、どこで学ぶかではない。何を学ぶかです」(新島襄)

学校の仮校舎を見に出かけたら、酷いありさまでした。しかしその時に、襄が言った台詞です。


「これがらは、あなたの行く道が私の行く道です。あなたと同じ志を持って生きて行きたいんです。そう決めたんです」(山本八重)

キリシタンにはならないとの、嘘の宣言をするのを拒否して女紅場を解雇された八重が、迎えに来た襄に言った台詞です。


「今ここで聖書は奪えても、学びたいという気持ちまでは奪えねえ。この子たちは乾いた土のように、何でも吸収します。聖書だけじゃありません。全て学ばせてやりてえのです」(山本八重)

リーダーの授業という形で、禁止された聖書の授業を行っていた襄。そこに役人と踏み込んで来た知事の槇村に、八重が語った台詞です。


「彼女は幾分、目の不自由な兄上に似ています。ある事をなすのが自分の務めだと一旦確信すると、もう誰をも恐れません。・・・私の目には、彼女はただただ、生き方がハンサムな方です。私にはそれで十分です」(新島襄)

襄がアメリカの知人宛てに書いた手紙で、結婚相手の八重を紹介した文章です。


「他の人が思いつかない事をするのが、八重だ。それを私は誇りに思ってる。信じたように生きてみっせ。私はずっと八重の事、見守ってっから。・・・おめでとう」(山本佐久)

日本で最初のプロテスタントの挙式を控えた八重に、母・佐久がウェディングドレスと共におくった台詞です。


Yae093

第37回:「過激な転校生」より

「世の中ば自分の目で見て、本当の事を沢山の人に伝えたか。人は知らん物、分からん事を攻撃するけん。熊本でも何も学校の事を知らん士族や親族が、我らに邪心があると決めつけとった」(徳富猪一郎)

キリスト教を捨てずに熊本を追われて来た、熊本バンドの中の徳富猪一郎が、新聞記者になりたい夢を八重に打ち明けた台詞です。


「ならぬことはならぬ。子供の頃、会津でそう教わってきました。んだげんじょ、それをそのままひっくり返してみる事にしました。良いものは良い。西洋の考えも聖書も、生意気な生徒達も、全部は分がんねえし、受け入れられねえ。んだげんじょ、良いと思う所は、誰が何て言おうと受け入れてみる事にしました」(新島八重)

熊本バンドを受け入れた事は間違っていたのかと悩む襄に、八重が語った台詞です。


「国とは国家の事ではありません。国とはピープル、人々の事です。国を愛する心とは、自分自身を愛するように、目の前にいる他者を愛する事だと、私は信じています」
「型通りでなくてもいい。歩みが遅くてもいい。気骨ある者も大いに結構。良いものは良い。しかし己のために他者を排除する者は、私は断固として許さない!・・・我が同志社は、いかなる生徒も決して辞めさせません」(新島襄)

熊本バンドが突き付けた改革要求に対して、襄が涙ながらに語った台詞です。そして・・・。


「俺は、格好つけんと生徒んために涙流せる先生ば・・・男らしかって思った」(徳富猪一郎)

襄の度量の大きさを思い知らされた熊本バンドでした。


第38回:「西南戦争」より

Yae094 「知性と品格を磨いた女性には、男子以上に、この世の中を変える力があると信じているんですよ」(新島襄)

女学校の時間割を、男子の英学校とほぼ同じにするつもりだった襄が、八重に語った台詞です。


「官だの、賊だの、時の勢い。武士はただ、死に物狂いに戦うばかり。・・・望みがかなった。戦場で斬り死にできる。あ・・・ありがてえ」(佐川官兵衛)

西南戦争で官軍の兵として散った官兵衛が、藤田五郎に語った最期の台詞です。


「今のこの国は、会津人が・・・会津人が流した血の上に出来上がっている!」(山川浩)

「そいを忘れたこつはなか。じゃっどん、もう収めんなならん。内乱は二度とは起こさん。おいが皆、抱いてゆく」(西郷隆盛)

田原坂の戦場ではない場所で、偶然に顔を合わせた山川浩と西郷隆盛。お互いの胸の内をぶつけ合った台詞です。


第39回:「私たちの子ども」より

Yae095 「私が憎いか? だったら元気になって、私に報復したらいいべ。つまんねえ意地を張って死んでしまったら、なじょにもなんねえのだし! 生きねばなんねえのだし!」(新島八重)

戊申戦争の時に八重が撃ち殺したらしき、結核で倒れた小松リツの父親。それで八重の運ぶ食事を食べようとしないリツに、八重が言った台詞です。そのあと襄は、八重も同じ痛みに苦しんで生きて来た事を伝えます。そして・・・。


「それは当然です。あなたは、私たちの子どもですから」(新島襄)

「ないごて八重先生は、あたいの看病を?」と問うリツに応えた、襄の台詞です。リツは八重の食事を食べ始めました。


「私の父は、なじょして死んだ? 弟の三郎は、なじょして殺された? そう思っていたけんじょ・・・、私は、同じ罪を背負っている。この罪は、決して消える事はねえ」(新島八重)

「じゃっどん。罪のなか人間なんち、おっとごわんそかい? 先生、あたいの看病をしっくいやって、命をば救ってくいやって・・・ありがとなし」(小松リツ)

戊申戦争で生まれた深い因縁。しかし、それを乗り越えて心を通じ合う道があると、八重とリツは示したのかもしれません。


素材提供:十五夜空彩雪月花

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