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八重の桜:6月放送分

第22回:「弟のかたき」より

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「仇は私が討づ!」(川崎八重)

三郎の戦死を知らされて、八重が尚之助に叫んだ台詞です。


「会津は、あくまで恭順を貫く。・・・もとより朝廷に刃向かう心はない。ただし! 攻めて来るならば、全藩をもってこれと戦う!」(松平容保)

この決断で、会津は軍制改革をして戦支度を始める事になります。


「私が行けば良かったんだし! 三郎より、私の方がずっと強えんだがら! 戦には私が・・・三郎―っ!」(川崎八重)

尚之助の腕の中で泣いて、三郎の死をやっと受け止めた八重です。


「この江戸市中は、火の海になる。考えてみてくれ。あの屋根の一つ一つの下には、人間が住んでいるんだぜ。戦とは関わりのない、無辜(むこ)の民だ! あんたがつくろうとしている新国家は、そんな人たちから、家や命を奪うのか!? それが、あんたの目指す国づくりか!?」(勝海舟)

勝海舟の巧みな説得で、江戸城総攻めを取りやめる決断をした西郷吉之助です。


「俺の首を斬れ! 俺を斬って、会津を助けでくれ!」(山本覚馬)

牢に会いに来て、去って行く西郷の背に、覚馬が叫んだ台詞です。


第23回:「会津を救え」より

「思いっきり、振ってみなんしょ。体が動けば、心も一緒に動き出しやす。縮こまっていでも、良い事は何もねえ」(川崎八重)

「やってみんべ。みねは、旦那様からの大事な預かりものだ。強え会津のおなごに育てねえと、後で旦那様に叱られっつまう」(山本うら)

覚馬の消息不明の報に落ち込んで家に籠っていたうらを、八重が薙刀道場へ連れて行った時の台詞です。そこへ神保修理の死の哀しみを超えて生きようとする雪が現われ、うらの気持ちも変わりました。
完全小説版の『八重の桜 第2巻』には、この時の八重の気持ちが解説されています。印象深い文なので、引用してみます。
「稽古が進むにつれ、うらの額に汗が光りはじめた。八重は共に薙刀をふりながら、安堵していた。何があっても自分を見失ってはならない。絶望に、心を譲り渡してはならない。悲しみに心が呑みこまれてしまえば、人は闇の中で生きるしかない。自分をいたわり、できることをする。たとえ愛する人を失っても、人はそうして自分の足で立って生きていくしかないのだと、八重は思う。」(P.238)


「そなたが仕えてきたのは、徳川幕府だ。わしではない。・・・わしに家臣がいたろうか? 会津のように、君臣一体となる家臣が・・・」(徳川慶喜)

江戸城を明け渡す日に、慶喜が勝海舟に問いかけた台詞です。


「これも戦だ。怯んではなんねえ。やんべし!」(川崎八重)

傷病兵の治療の手伝いに行った八重が、その無残な光景を前にした台詞です。八重が後年に従軍の篤志看護婦になる事を暗示するような言葉でした。


「立ち上がれ・・・。そうが・・・。まだある! 俺に出来る事が、まだ一つだけ!」(山本覚馬)

牢の中で、「ただ身一つで立ち上がればよい!・・・立ち上がれ!」と吉田松陰の声が聞こえた覚馬。何か新しい使命に目覚めたようです。


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第24回:「二本松少年隊の悲劇」より

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「言葉はみんな、ここにある! ここにあるもんは、誰にも奪えねえ!」(山本覚馬)

牢番に何度破り捨てられても、獄中で新国家への意見書「管見」を書き続ける覚馬が、自らの胸を叩いて言った台詞です。この覚馬の気迫は、やがて周りをも味方に変えて行きます。


「あなた方のつくる新しい国は、踏み出したその一歩から、既にゆがんでおる。誰のための国づくりぞ。とくとお考えあれ」(松平春嶽)

会津討伐取り止めの建白書を持って京都太政官までやって来た松平春嶽が、岩倉具視や木戸孝允に言った台詞です。
 


「敗れても、滅んでも・・・、まだ残るものはある!」(山本覚馬)

「管見」を書き上げて時栄に託した覚馬が、会津と日本の未来を思ってつぶやいた台詞です。


「二本松は、敵に寝返って生き延びるより、死すども、同盟への信義を貫ぐ道を選んだ! 誇りを持って戦え!」(木村銃太郎)

隊長の木村銃太郎が戦闘開始前に、二本松少年隊士たちに向かって言った台詞です。しかし、隊は悲劇的な結末を迎える事になります。


 
第25回:「白虎隊出陣」より

「今会津を・・・! 今会津を見捨てるのは、義にあらず。生死を共にした仲間を捨てるには、士道に背きます」(斎藤一)

会津に戻って共に戦うのは「死にに帰るようなもんだ!」と言う土方歳三に、斎藤が応えた台詞です。


「まともに撃ち合って、無駄に死んではなんねえ!」(川崎八重)

白虎隊の銃が新政府軍より劣っている事を見抜いた八重。伊東悌次郎ら白虎隊士たちに思わず叫んでいた台詞です。


「家並みのお触れが回ったからには、おなごも子どもも力を合わせて、お城を守るという事だ。みんなで、会津を守るんだ」(山本佐久)

死ぬ覚悟なのではないかと心配する女中のお吉に、佐久が言った台詞です。


「私は三郎と一緒にお城にあがりやす。今から私が三郎だ。逆賊呼ばわりして、会津を滅ぼしに来る者たちを、私は許さねえ。・・・私は、戦う」(川崎八重)

弟の三郎の遺品の軍服を着て、三郎として戦いに加わろうと決意した八重の台詞です。


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第26回:「八重、決戦のとき」より

「私は、弟の魂と共に戦う覚悟にごぜえます」(川崎八重)

「弟と共に・・・。では、その鉄砲に会津武士の魂を込めよ」(照姫)

義弟の松平容保と共に戦う気持ちの照姫には、戦いの最前線に向かう八重に自らの姿が重なった事でしょう。


「男もおなごもねえ! これは、会津全ての戦いだ!」
「敵にはお城は渡さぬ。仲間がやられんのを、黙って見るつもりはねえ! 私たちの大事なふるさと、会津は、この手で守る!」(川崎八重)

鉄砲隊を指揮して戦いに加わりたいと訴える、八重の叫びの台詞です。


「そんな非道な力には、死んでも屈しねえ! この事、命を捨てて示すのが、西郷家の役目だ」(西郷千恵)

西郷家の女たちが揃って自刃するに際して、その大義を千恵が語った台詞です。


「我ら最後に、徳川のためでも、幕府のためでもなく、会津のための戦をしたのだ。これ以上の名誉な事はねえ」(神保内蔵助)

「ああ。我らは幸せ者だ。・・・修理も腹切った時は、きっと同じ思いだったべ」(田中土佐)

家老の神保内蔵助と田中土佐とが、共に自刃する際に語った台詞です。
この回は、後世に語り継がれる悲劇の中で見せた、会津人の誇りが際立っていました。・・・そして会津戦争は、命懸けの籠城戦になって行きます。

 


素材提供:薫風館Kigen空彩

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