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2013年5月

八重の桜:5月放送分

 毎月1日に投稿しておりましたが、もう少し早く、最終日曜日の翌日の月曜日の投稿に変えさせて頂きます。

第18回:「尚之助との旅」より

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「日本が劣っているとは到底思いやせん。技術を学びさえすりゃあ異国に負ける事はねえものと思いやす。ようは志です。・・・ただご公儀の役人は、その志を見失っている。人材が入り用な時に、肩書きに拘るあの心の狭さでは、この先この国の舵取りは難しいものと思われます」(山川大蔵)

外国奉行の共をして外国を回ってきた大蔵が、率直な感想を覚馬や秋月に語った台詞です。


「秘訣は、目を開けようとしねえ事です。目の事は忘れて、弾の行方だけ追えばいいんだし」(川崎八重)

銃を撃つ時に目を閉じる悪い癖のある少年に、同じ癖のあった八重が教えた台詞です。目的意識をしっかり持っていれば、細かい欠点は自然と直ってくる。この秘訣は、意外と普遍性のある話なのかもしれません。


「一つだめなら、また次の手を打つまでです。金がなくても、出来る事はあるはずだ」(川崎尚之助)

会津藩士となった尚之助の建白は、財政の余裕がないのですぐには取り掛かれないとの返事でした。諦めない尚之助が、八重に語った台詞です。


第19回:「慶喜の誤算」より

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「鉄砲は命のやり取りをする道具だ。形だけ真似ても、胆が出来てねえと、使いこなす事は出来ねえ」(川崎八重)

伊東悌次郎と高木盛之輔に、厳しく銃の指導をする八重の台詞です。


「日本を神武創業のはじめに戻す。2500年も遡れば、たかが300年の徳川など、一息に吹き飛ぶわ! 皇国を、いったん更地にして、一から作り直すのや!」(岩倉具視)

王政復古の真の意味を語った岩倉具視の台詞です。岩倉の言う「たかが300年の徳川」に因っている事も、同時に意味を失う事になるのでしょう。


「幾らかでも見えてる内は、洋学所は休めねえ。この目では銃は撃てねえ。んだげんじょ、教える事ならまだ出来る。幾らかは、会津のお役に立てます」(山本覚馬)

覚馬の目を気遣って宿所を移る事を勧める大砲奉行の林に語った、覚馬の台詞です。


「何も難しか事はなか。短刀一本あれば、片の付っ事じゃなかか」(西郷吉之助)

阻む者は刺し殺してでも進む、この気迫が朝議で徳川擁護派を押さえ込み、徳川の治政を覆す決定が下されました。そして徳川慶喜は、松平容保らを連れて都を離れ、大坂に下る事になりました。


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第20回:「開戦!鳥羽伏見」より

「人は変わる事を恐れるもんじゃっでな。どげな悪か世でん、知らん世界よりは良かち思いたがる。260年の眠りから国を揺り起こすには、よほどの事をばせんなならん」
「国をば更地に戻すには、血も流さんなならん」(西郷吉之助)

前回の岩倉具視とあわせて、なぜ戊辰戦争が起きたのかをうかがわせる台詞です。


「その修練が、会津の心となって、弾に込もるのですね」
「男なれば、魂を込めた薙刀を取って都に馳せ参ずるものを。国許で案ずることしかできぬのが、口惜しくてなりませぬ」(中野竹子)

「そんじも、腕は磨いておがねば。いづか、お役に立てる時が来っかもしんねえがら」
「竹子さまと私、使う道具は違うげんじょ、思いは一つですね」(川崎八重)

角場で八重の銃の腕に感服した竹子。似た物同士ゆえにライバル関係だった二人が、心を通わせ合った台詞です。


「やせ我慢するな。今のうち思いっきり怖がっとけ。一発銃声が響いだら、もう怖がってる暇はねえぞ!」(林権助)

初陣で敵兵を目前にして強がってみせる三郎に、大砲奉行の林が言った台詞です。林はこの後、壮絶な最期を遂げる事になります。


第21回:「敗戦の責任」より

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「山本家の男として、兄に代わって働きとうごぜえます! 姉上も、力を貸してくれます。・・・これをこさえでくれやした」(山本三郎)

難所の最前線で戦いたいと、三郎が難を転ずる南天の刺繍を見せて、山川大蔵に言った台詞です。しかしこの後、三郎は命を落とす事に・・・。


「敗れたままでは、殿がお城から逃げたままでは、会津の誇りは・・・」
「皆で戦えば、負げたままでは終わんねえ。ならぬことは、ならぬのです!」(川崎八重)

会津が朝敵になる危機的状況において、八重の闘争心に火が付き始めて来ました。


「殿は、全てを分かっていて下さる。・・・それで、十分ではないか・・・」(神保修理)

敗戦の責任を一身に背負って切腹した、修理の台詞です。

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素材提供:十五夜Kigen

八重の桜:4月放送分

第14回:「新しい日々へ」より

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「もうしばらくの辛抱じゃ。・・・これを成し遂げたら、皆で会津に帰ろう。磐梯山が見守る、故郷へ」(松平容保)

将軍上洛による長州征討によって公武一和が成るまでは都を守る、という決意を家臣らに語った容保の台詞です。


「いさかい一つしなかったげんじょ、私は一度、喧嘩してみたかった。叱られてみたかったし、困らせてもみたかった。・・・旦那様が都からお戻りになったら、私はもう一遍、初めから夫婦をやり直してえ」(神保雪)

仲良い夫婦だと思われていた修理と雪でしたが、よく話を聞いてみると、嫁いですぐに都に上る事になった夫を、早く良い嫁になって送り出そうと無理していたようです。・・・後の修理と雪の運命を考えると、切なくなる台詞です。


「世間並みなんぞならなくて結構。あなたはあなたであればよい!・・・私の妻は他の誰でもない、鉄砲の名人、八重さんだ。それでよい」(川崎尚之助)

世間並みの奥方とやらになろうと、無理して鉄砲から離れていた八重を叱った、尚之助の台詞です。


「新しい力は、二人のように古い秩序に縛られぬ者の中から生まれると、わしは信ずる」(秋月悌次郎)

蝦夷地出向の命が下った秋月が旅立つ前に、八重と尚之助に会津の未来を託した台詞です。


第15回:「薩長の密約」より

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「もはや、徳川だけに国を任せちゃおられん。そん思いは、薩摩も同じごわんで。そんために組むべき相手は、会津じゃなか。桂さあ、手をば組みもんそ。お望みの洋式銃を、薩摩名義で調達致しもす。そいで、信用しっくいやんせ」(西郷吉之助)

薩長の密約が結ばれた時の台詞です。これが会津藩の運命を大きく変える事になります。


「ばかもん。眼病の事、なじょして早く報告しねえ。・・・にしゃの目は、会津になくてはならん。治す事もお役目と思え!」(田中土佐)

家老の土佐が山本覚馬に、長崎でオランダの眼病の専門医に診てもらうように命じた台詞です。


第16回:「遠ざかる背中」より

「うらは、己に厳しくしてたんだ。甘やかして弱い子に育てたら、覚馬に申し訳ねえがらと。可愛いみねを、怖い顔して叱んのは、うらも辛かったべ」(山本佐久)

八重は、義姉のうらがみねに厳し過ぎるように思っていましたが、母の佐久はうらの気持ちが分かっていました。


「幕臣も外様もねえ! 外を見ろ! 世界に目を向けてみろ! いいか、日本は小せえ国だ。内乱なんぞしてたら、たちまち西欧列強に食いつぶされる。徳川一家の繁栄と、日本国の存亡。秤に掛けて、どっちが重いかよく考えてみろ」(勝海舟)

徳川慶喜に長州征伐の出陣を促す松平容保の書状を届けに、二条城を訪れた山本覚馬と山川大蔵ですが、勝海舟の言葉が胸に突き刺さりました。


「我らは、重い荷を背負うた者同士。ご先祖代々、守り、培ってきたものを、両肩に背負うて歩んでゆかねばならん。その苦しさを、まことに分かち合えたのは、そなた一人であった」
 
「会津から教わった。武士の誠は、義の重きにつく事にあると。・・・長い間、誠を尽くしてくれて、ありがとう」(孝明天皇)

孝明天皇が、松平容保に語った台詞です。しかし孝明天皇は間もなく突然に崩御し、容保は心の支えを失ったまま時代の渦に巻き込まれて行く事になります。


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第17回:「長崎からの贈り物」より

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「私は、五体のすべてをかけて、殿にお仕えしています。それは覚馬さんも、同じはずだ!・・・たとえ光を失ったとしても、銃を知るこの手がある。学んだ知識や、身に染み込んだ魂を、会津のために使えばいい。覚馬さん、しっかりしっせえ!」(神保修理)

失明という現実を前に、大切な事を見失いかけていた覚馬に言った、修理の台詞です。


「異人も日本人もねえな。同じ人の子、人の親だ。・・・何をやってんだ、俺は。苛立って、話をぶち壊した」(山本覚馬)

非礼を素直に武器商人のレーマンに詫びた覚馬。そこから二人の友情が始まりました。


「贈り物です。会津への信頼の証に。銃の事よく知っている人に、使ってもらってください」(カール・レーマン)

覚馬が贈られた、売り物ではなかったスペンサー銃です。八重が覚馬から託されて、会津戦争で使う事になる銃は、こういういわれがありました。


素材提供:薫風館空彩十五夜

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