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2013年3月

八重の桜:2月放送分

第5回:「松陰の遺言」より

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「こたびの大事、私一人なりとも死んでみせれば、後に残った者たちが、きっと奮い立つ。この国を守るために!・・・天朝も、幕府も、藩もいらん。ただ身一つで立ち上がれば良い! 立ち上がれ!・・・至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり!」(吉田松陰)

白洲で死罪を言い渡された時の松陰(寅次郎)の叫びです。


「あの人は、また馬鹿正直に、お白洲で訴えたんだ。ご公儀のやり方は間違ってる、このままじゃいけねえと。そのための命がけだ。精一杯の誠だ。無謀であろうど、愚かであろうど、一人の人間に、それ以上、何が出来る・・・」(山本覚馬)

攘夷派への怒りを抱えていた覚馬。松陰の最期の様子を知らされて、その心情を察しました。


「こんな事ではねえはずだ。寅次郎さんがやろうとしたのは、こった風に、国を二つに割る事ではねえ」(山本覚馬)

桜田門外の変を受けて、覚馬は会津が和平を取り持つ旨の建白書を藩に出しましたが、会津に火の粉が降りかかるのを怖れた若年寄らに握りつぶされてしまいます。


第6回:「会津の決意」より

「徳川御宗家と存亡を共にするのが会津の務め。是非に及ばぬ! このうえは、都を死に場所と心得、お役目を全うするよりほかはない。みな、覚悟を定め、わしに・・・わしに力を貸してくれ」(松平容保)

「得心がいきませぬ。こたびの事は、会津の命運を左右する、二股道にござります。おそれながら殿は、会津を滅ぼす道に、踏み出されてしまわれた!」(西郷頼母)

京都守護職を引き受ける事について、御家訓にある会津の義を貫こうとする容保と、現実的な意見で容保を諌めようとする頼母です。この二人のぶつかり合いが、当時の会津藩が抱えるジレンマを表わしているようです。


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第7回:「将軍の首」より

「倒幕・・・。ならば、言路洞開など何の役にも立たぬ! わしが・・・愚かであった」
「この後、不逞の輩は厳罰にて処断いたす!」(松平容保)

浪士たちに説き聞かせる融和策から、強い力で抑える厳罰策に切り替えた会津藩です。しかし、このやり方は・・・。


「強い力を持つ者は、初めは称えられ、次に恐れられ、末は憎しみの的となる。・・・覚馬さんも、それを恐れていました」(川崎尚之助)

・・・こういう結果を招く危惧がありました。


 
第8回:「ままならぬ思い」より

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「一敗地にまみれ、叩きつぶされて、そこからはい上がりゃ・・・十年後、百年後、この国も、ちっとはましになるだろうよ」

「考えて、考えて、考え抜いてみろ! 象山先生も、死んだ寅次郎さんも、遠い先の日本の事まで、思い描いていたぜ」(勝海舟)

今、攘夷で外国と戦をしたら「負けるに決まっている」という海舟が、覚馬に言った台詞です。十年後、百年後の日本の事まで考える必要があると、覚馬は気付かされました。


「京で、会津を思う時には、きっと真っ先に、八重さんの顔が浮かぶ。・・・あなたは、会津そのものだから」(山川大蔵)

決められた縁組に心が迷った事もあった大蔵が、その秘めた思いを込めて八重に告げた台詞です。・・・八重には意味が伝わらなかったようですが(笑)。


「ままなんねえもんだなあ。ハハハ・・・。誰も、思ったようには生きらんねえか」(西郷頼母)

松平容保の怒りに触れて謹慎の身となった頼母。腕はあっても使う場所がない身の上を、八重と共感した頼母の台詞です。


素材提供:十五夜空彩薫風館

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