ブログ休止のお知らせ

Mejiroyaesakura2 大河ドラマを観て、心に残った台詞を取り上げるブログです。

 2012年は「平清盛」、2013年は「八重の桜」と書き続けてきましたが、仕事が多忙になって来たため時間が取れず、2014年からやむなく休止いたしております。

 「平清盛」と「八重の桜」の投稿分は、バックナンバーとしてしばらく残しておきますので、録画やDVDなどで番組を楽しまれる方にとって、何らかのご参考にしていただければ幸いです。

素材提供:十五夜

八重の桜:12月放送分

第48回:「グッバイ、また会わん」より

Yae121 「愛国心とは、そんなものではない! 意見が違う者を力で封じ込めるなら、何のための国会開設だ!」(新島襄)

外務大臣の大隈重信が、外交交渉が弱腰だと憤った愛国者に襲われたというニュースを聞いて、襄が言った台詞です。


「襄、ありがとなし。私を妻にしてくれで。戦の傷も、犯した罪も、悲しみも、みんな一緒に背負ってくれた。私を、愛で満たしてくれた。・・・ありがとなし」(新島八重)

襄の最期に駆け付けた八重が、感謝の思いを述べた台詞です。


「八重さん・・・、狼狽してはいけません。グッバイ・・・。また、会いましょう」(新島襄)

襄の最期の言葉です。


「赤十字の看護の精神は、敵味方の区別なく、傷ついた者に手を差し伸べる事にある。苦しむ者、悲しむ者に寄り添い、慈しみの光で世を照らす。・・・新島さんが、作ろうとした世界だ」(山本覚馬)

八重に東京で看護法を学んでこいと言う覚馬。その精神を聞いて、八重は自分の前に、一筋の道ができたような気がしました。八重の新しい生き様が始まります。


第49回:「再び戦を学ばず」より

Yae122 「戦をせず、国を滅ぼさぬ道もあったはずなのだ!」(山本覚馬)

会津戦争までの経緯を回想して、八重や山川健次郎を驚かせた覚馬の台詞です。会津が大切だからこそ冷徹に考え続けてきた覚馬には、分かる事があるのでしょう。後で健次郎も、それに気付き始めます。


「今、世界が力を競い合い、日本は戦に向げて動き出した。どうか、聖書の一節を、心に深く刻んでください。・・・その剣(つるぎ)を打ち変えて鋤(すき)となし、その槍(やり)を打ち変えて鎌となし、国は国に向かいて剣を上げず。二度と再び、戦う事を学ばない」
「諸君は一国の、いや世界の良心であって下さい。いかなる力にも、その知恵であらがい、道を切り開いて下さい。それが身をもって戦を知る、私の願いです」(山本覚馬)

同志社の卒業式で、覚馬が語った台詞です。聖書の一節とはイザヤ書の第2章ですが、これはニューヨーク市にある国連広場の壁にも刻み込まれているそうです。『「戦うことを、学ばない・・・」これこそが、覚馬が探し求めていたものだったのだ。』と、完全小説版「八重の桜・第4巻(P.276)」には説明されています。


「良い事を自分達から始めんのを、ためらう事はありません。苦しんでいる人たちに手を差し伸べんのが、文明というものではねえのですか?」(新島八重)

日清戦争が始まり、陸軍病院に看護婦を派遣し自らも向かう八重が、陸軍大将の大山巌を訪ねた際の台詞です。赤十字の協定に加わっていない清国に対して、敵味方の区別なく救護する必要はないと言う人達がいたからです。それに対して大山は・・・。


「敵なればとて、傷を受くるか病にかかりたる者をいたわり救うは、人の常なり。仁愛の心をもって、これに対すべし。・・・おいは、出陣に際し、全軍にこげん訓示しようち思うちょる」(大山巌)

そう応えました。


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最終回:「いつの日も花は咲く」より

Yae124 「初めての事には、いつでも反対する人がいんだし。・・・まず、やってみせんべ。道は、私たちが作ればいい。誇りを持って、働いてくなんしょ」(新島八重)

最初の日に、衛生兵たちから心ない言葉をぶつけられて、浮かない表情の従軍看護婦たちに、八重が言った台詞です。
看護婦たちを指揮したこれらの働きが認められて、八重は後に、皇族以外の女性で初めて勲章を授けられます。


「幕府が強い力を失うて、わしらが国を新しゅう作り替えた時、流さんでもええ
血が、こじゃんと流れた。・・・清が敗れて世界の勢力図が塗り変わる。国と国の大きな戦が始まるろう。流される血は、これまでとは比べ物にならん!」(板垣退助)

強硬外交を唱える徳富蘇峰が取材で訪ねて来た時、板垣が語った台詞です。しかし蘇峰には、板垣の真意は伝わりませんでした。


「一服のお茶の前では、どなたとでも、まっすぐに向ぎ合える。互いに心を開き、敬い合って、清らかで、何事にも動じない」(新島八重)

晩年は茶道に魅せられた八重が、茶道の師に語った、茶道の神髄をあらわす台詞です。それまでは主に男性のやるものだった茶道を、女性に拓いたのが八重たちだと言われます。


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Yae125「わしはな、新政府がなじょな国つくんのか、見届けんべと、生ぎ抜いてきた。・・・んだげんじょ、戊辰以来、わしの眼に焼ぎ付いたのは、なんぼ苦しい時でも、懸命に生きようとする人の姿。笑おうとする人の健気さ。そればっかりが、俺の心を、胸を揺さぶんだ」(西郷頼母)

「花は、散らす風を恨まねえ。・・・ただ、一生懸命に咲いでる」(新島八重)

「八重、にしゃ桜だ。・・・花は散っても、時が来っと、また花を咲かせる。何度でも、何度でも、花咲かせろ」(西郷頼母)

会津の例の桜の見える場所で、頼母と八重が静かに語り合った台詞です。


「力は、未来を切り開くために、使わねばなんねえよ。・・・昔、私が生まれた会津という国は、大ぎな力に飲み込まれた。私は、銃を持って戦った。最後の一発を撃ち尽くすまで。一人でも多ぐの敵を倒すために。・・・んだげんじょ、もしも今、私が最後の一発の銃弾を撃つとしたら・・・私は、諦めねえ」(新島八重)

人を動かす言論の力を何に使うのかと、徳富蘇峰に問いかけた八重。もしも今、自分が銃を撃つのならば、人ではなくて、世の中を覆っている黒雲に向けて・・・。ドラマのラストの台詞です。


「八重の桜」(了)



Yae127

素材提供:薫風館Kigen空彩

八重の桜:11月放送分

第44回:「襄の遺言」より

Yae111 「家の中に雷が落ちんのは構わねえ。んだげんじょ、怒りながら食べたら、体に毒だ。・・・嫌な事があったなら、話してくなんしょ」(新島八重)

襄がいらいらしながら食事をしているのを見て、八重が心配して言った台詞です。


「いつの日も、私を支えて下さったのは、姉上の真心でした」(松平容保)

容保が病の照を見舞って語った台詞です。義理の姉と弟という以上の深い絆があったと言われる容保と照ですが、照はこの言葉によって、すべて報われたのかもしれません。


「命を削って、襄は戦ってる」
「世界中が敵でも構わねえ。私は、一緒に戦う。襄のライフは、私のライフだ」(新島八重)

手違いで届いた襄の遺書を読んで、八重が語った台詞です。


「八重は強く言い過ぎる。今、宣教師たちが引き揚げたら、困んのはこっちだべ。一歩引いても、学校守んのが、八重の務めだ」(山本佐久)

舎監を辞める事でもめごとを収めた、佐久の知恵に学んだ八重でした。


第45回:「不義の噂」より

Yae112 「これはチャンスです。・・・ミッションに頼り切っていた、今までのやり方が、間違っていたのです。この機会に、学校を作りかえましょう!」(新島八重)

ミッション(日本宣教団体)から資金援助が得られなくなり、絶望的な状況に陥った女学校です。しかし八重は諦めずに、寄付を募るという新しい道を探し始めました。


「授業参観とは、ええこと思いつかはった。耶蘇の学校や言うて敬遠してた人たちも、これで見方、変わるやろ」(大垣屋清八)

実際に授業を見てみる事で、京都経済界の実力者たちの偏見が取り払われ、寄付が集まりました。


「うちは、旦那様の胸にいはる、うらさんとは違う。・・・生身のおなごや。きれいなままでは生きられへん」(山本時栄)

「今度の事は、俺から出た事だ。始末は、俺がつける」
「もういい。騒ぐな」(山本覚馬)

お互いにかけがえのない存在であった覚馬と時栄ですが、時栄が不義をはたらいてしまいます。覚馬は商工会議所を辞め、時栄を赦そうとしましたが、時栄が決心して、二人は別れる事になりました。


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第46回:「駆け落ち」より

Yae114 「子は思うようにはならんという事を、心得ておくといい」
「断りもなくアメリカに渡ってくれて良かった。相談されたら、反対せねばならんところだった。子を信じ切るという事は、親にとって一番難しい」(新島民治)

亡くなる数日前に、襄と八重の前で父・民治が語った台詞です。


「迷った時は、母親らしくではなくて、八重姉様らしくやってみたらどうだべ?」(ユキ)

久栄の母親代わりになろうと気負い過ぎて悩んでいる八重に、「苦しい時はよく八重姉様だったらどうすっかなって考えた」ユキが言った台詞です。


「ばってん、それが人間じゃなかですか? そぎゃん自分ばこらえて、真っ当な人間になろうと皆、必死にもがいとっとじゃなかですか!? 俺は・・・、俺はそぎゃん人間の本当ば書きたか」(徳富健次郎)

小説家になるために、久栄を連れて上京しようとしていた健次郎(蘆花)が、八重に「俺は情けなか人間たい」と、自分の心の中を吐き出した台詞です。
健次郎は久栄と別れる事になりますが、後に久栄との恋愛を描いた自伝的小説「黒い眼と茶色の目」を書く事になります。


第47回:「残された時間」より

Yae115 「政府のために作るんではなく、人民のために作る大学だろう? だったら、志を全国に訴えて、国民の力を借りて作っちゃどうだい。一人から千円もらうのも、千人から一円ずつ集めるのも、同じ千円だ」
「徳富がいるじゃないか。国民之友には数万人の読者がいる。これを載せて読んでもらえば、数万人相手に集会を開くようなもんじゃないか」(勝海舟)

同志社大学の「設立の旨意」を指して、私立大学なりの作り方を提案した勝の台詞です。


「私には、やる事があるんです。その日が近いなら、準備をしなければならない。怖いのは、死ぬ事ではない。覚悟も決めず、仕度もできぬままに、突然、命を断たれる事です。・・・八重さん!」(新島襄)

心臓がいつ破れてもおかしくないと医師に言われた事を、八重は襄に告げました。


「私がいなくなっても、その後に続く人が、作り上げてくれる。私もそう信じます。・・・けれど、そのためには、誰かが種を蒔かなければ。一粒の麦を地に落とさなければ!・・・私がやらなければならないのです!」(新島襄)

「これは、襄の戦だった。戦なら、怖じ気づいて逃げる訳にはいがねえな」(新島八重)

襄の体を心配し、「襄の命が削られるぐらいなら、大学なんか出来なくていい!」と言った八重ですが、襄の思いを聞いて、改めて支え続ける覚悟を固めました。


素材提供:雪月花薫風館空彩Kigen十五夜

八重の桜:10月放送分

第40回:「妻のはったり」より

Yae101「これまで日本では、世の中の仕組みを変える為に、人を殺め町を焼き、戦が繰り返されてきました。だが、今日からは違う。武器を持たぬ者が議論によって政治に関われる場が、この府議会なのです」(山本覚馬)

京都府会の初代議長に選ばれた覚馬が、議員席に向けて語った台詞です。


Go, go, go in peace. Be strong! Mysterious Hand guide you!(行け、行け、心安らかに行け。強くあれ。神の見えざる手が、君たちを助けてくれる)・・・同志諸君! 己の信じる道を歩んで行きましょう」(新島襄)

同志社英学校の第1回の卒業式で、襄が卒業生たちに語った台詞です。


「学生が授業を放棄するのも重大な過ちです。忘れないで下さい。教育を受ける事はあなた達の大切な、大切な権利です。過ちを犯した罰は受けねばなりません。全ての過ちの責任は、校長の私にあります。よって私が罰を受けます」(新島襄)

クラス併合の撤回を求めてストライキをした生徒達に、説明不足を謝った後で言った襄の台詞です。襄は杖が折れるまで自らの左手を打ちつけました。


「大人(たいじん)とならんと欲せば、自ら大人と思うなかれ」(新島襄)

新聞記者になるために学校を辞める徳富猪一郎に、襄が贈った言葉です。


第41回:「覚馬の娘」より

Yae102「知事と府議会の争いが続けば、新聞はますます書き立てるでしょう。戦いには敗れでも、義がどっちにあるかを、世に問う事はできます。戊辰の頃とは訳が違う」(山本覚馬)

知事の槇村の追徴税問題に、世論を味方につけて戦った議長の覚馬ですが、槇村の老獪さに負けました。覚馬は議会を去るのと引き換えに槇村を勇退させ、痛み分けに終わらせました。


「あの時、戦で家族が別れ別れになって、起ぎてしまった事は、もうどうにもなんねえ。昔を変える事は、誰にもでぎねえ。変えられるのは、先の事だけだ。・・・これからの事は、みねが自分で決めたらいい。兄様が望んでいんのは、みねが幸せになる事だ」(新島八重)

婿を取って山本家を継ぐために、母・うらと別れたと思い込んでいたみね。伊勢時雄の元に嫁ぐのを後押しした八重の台詞です。


「人民が国の舵取りをする時代が来るのです。一国の良心となる人物を、大勢育てなければなりません。それには大学が必要です。国の権力に左右されずに、自由自治の精神を貫く、私立の大学が」(新島襄)

国会開設の記事を読み、日本にはまだなかった私立大学の設立に向けて動き出した、襄の台詞です。


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第42回:「襄と行く会津」より

Yae104「ほたえな! 死ぬか生きるかゆうくらいで・・・。わしが死んだち、自由は・・・自由は死なんぜよ!」(板垣退助)

自由民権運動の演説会の後で暴漢に襲われた板垣。周りが騒然とする中で、刺された胸を押さえながら叫んだ台詞です。


「武士だけが戦うても、人民がそっぽを向いちょったら、国は滅びるろう。・・・人民に上下の区別があっては、日本は強い国にはなれんがやき。領民こぞって力を合わせちょったら、会津は焦土にならんかったかもしれん」(板垣退助)

新政府軍の将であった板垣は、会津戦争での経験から自由民権運動の必要性を感じたと言われます。意外にも、会津戦争はこういう形でも日本の歴史に影響を与えていたのですね。


「ただの記者になる気は、もうなかです。自分で新聞社ば作ろうと思うとります。・・・誰からも縛られんと、自由に記事の書ける新聞ば、この手で作りたか」(徳富猪一郎)

記者になる夢から、さらに大きな事に挑む猪一郎でした。後に本当に、新聞社を作る事になるようです。


「大事なものは、みんな、こごにあったんです」(新島八重)

変わり果てた故郷の生家の跡で、八重がつぶやいた台詞です。隣にいた襄は・・・。


「必ず、蘇ります。八重さんたちの、美しい故郷は・・・」(新島襄)

八重を元気付けました。


「今まで、大事に育ててくれた人を、ないがしろにしてはなんねえよ。悲しませたらなんねえ」
「あん時、私が自分で決めた事だ。・・・会津で生きていく」(うら)

一緒に今治で暮らそうと言う娘・みねの誘いを断った、うらの台詞です。


第43回:「鹿鳴館の華」より

Yae105 「お前さんが言うその高等教育で、この日本を生まれ変わらせるにゃ何年かかる?」(勝海舟)

「二百年・・・あるいは三百年かかるかもしれません。しかし今始めなければならないのです」(新島襄)

「十年とでもいい加減な事を言ったら、追い返すつもりだった」という勝。襄の応えに本気さを感じて、同志社大学の設立を応援する気になりました。


「いや、よい勝負でした。かつて命懸けで銃を撃ち合ったその手で、腕相撲が出来た。十五年・・・。誰にも等しく時は流れたんです。この手は形を変えると・・・」(新島襄)

大山巌と捨松の結婚を賭けて腕相撲をした八重と大山。捨松の本心に気付いた八重が負け、結婚の障害になっていた会津戦争のわだかまりも、乗り越えられました。八重と大山の握手が象徴的でした。


「時が乗り越えさせてくれるものもある。んだげんじょ、俺が忘れぬ内は相手も同じ。逆賊と呼ばれ続けんだろう。それでも百年後、会津が日本の誉れになる日が来っかもしんねえ。それはお前ら、若い者次第だ」(山川浩)

鹿鳴館で行われた大山巌と捨松の結婚披露宴で、山川浩が弟の健次郎に語った台詞です。


素材提供:薫風館十五夜Kigen

八重の桜:9月放送分

第35回:「襄のプロポーズ」より

Yae091 「ようやく一つ報いる事が出来た。最後まで会津に尽くした者たちに、いつか報いたいと願っていた」(松平容保)

時尾と藤田五郎(斎藤一)の祝言で、仲人を務めた容保が語った台詞です。


「皆、命懸けだった。時尾に一度見せたくて、連れて来た。俺たちが会津と出会い、共に戦った場所を。よい所も、嫌な思い出しかない所も」(斎藤一)

時尾を連れて京都にやって来た斎藤が、新島襄に語った台詞です。『八重の桜・第3巻』には、こう説明されています。「襄は斎藤に大切なことを教えられたような気がした。人は過去から逃げることはできない。受け入れるしかないのだ、と。」(P.230)。それを学んだ襄は・・・。


「向き合った方がいい。辛くても。・・・三郎さんや、会津の大切な人たちが亡くなったこと、あなたがしっかりと受け入れなければ、亡くなった人たちは安らかに眠れません。あなたの心の中の戦も、終わりません」
「亡くなった人たちは、もうどこにも行きません。あなたのそばにいて、あなたを支えてくれます。あなたが幸せであるように。強くなるように」(新島襄)

襄に連れられて、三郎が戦った場所に来た八重。そこで亡くなった大切な人たちの声を聞き、八重の会津戦争が、ようやく終わりを迎えたようです。


「良いのです、それで。むしろ忘れないでいて欲しい。私は、川崎さんに喜んで頂けるような夫婦になりたいんです」(新島襄)

改めて八重のプロポーズした襄。「私は、尚之助様を忘れる事できねえがら」と言う八重に、襄が応えた台詞です。そして八重はプロポーズを受け入れます。


第36回:「同志の誓い」より

Yae092 「大事なのは、どこで学ぶかではない。何を学ぶかです」(新島襄)

学校の仮校舎を見に出かけたら、酷いありさまでした。しかしその時に、襄が言った台詞です。


「これがらは、あなたの行く道が私の行く道です。あなたと同じ志を持って生きて行きたいんです。そう決めたんです」(山本八重)

キリシタンにはならないとの、嘘の宣言をするのを拒否して女紅場を解雇された八重が、迎えに来た襄に言った台詞です。


「今ここで聖書は奪えても、学びたいという気持ちまでは奪えねえ。この子たちは乾いた土のように、何でも吸収します。聖書だけじゃありません。全て学ばせてやりてえのです」(山本八重)

リーダーの授業という形で、禁止された聖書の授業を行っていた襄。そこに役人と踏み込んで来た知事の槇村に、八重が語った台詞です。


「彼女は幾分、目の不自由な兄上に似ています。ある事をなすのが自分の務めだと一旦確信すると、もう誰をも恐れません。・・・私の目には、彼女はただただ、生き方がハンサムな方です。私にはそれで十分です」(新島襄)

襄がアメリカの知人宛てに書いた手紙で、結婚相手の八重を紹介した文章です。


「他の人が思いつかない事をするのが、八重だ。それを私は誇りに思ってる。信じたように生きてみっせ。私はずっと八重の事、見守ってっから。・・・おめでとう」(山本佐久)

日本で最初のプロテスタントの挙式を控えた八重に、母・佐久がウェディングドレスと共におくった台詞です。


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第37回:「過激な転校生」より

「世の中ば自分の目で見て、本当の事を沢山の人に伝えたか。人は知らん物、分からん事を攻撃するけん。熊本でも何も学校の事を知らん士族や親族が、我らに邪心があると決めつけとった」(徳富猪一郎)

キリスト教を捨てずに熊本を追われて来た、熊本バンドの中の徳富猪一郎が、新聞記者になりたい夢を八重に打ち明けた台詞です。


「ならぬことはならぬ。子供の頃、会津でそう教わってきました。んだげんじょ、それをそのままひっくり返してみる事にしました。良いものは良い。西洋の考えも聖書も、生意気な生徒達も、全部は分がんねえし、受け入れられねえ。んだげんじょ、良いと思う所は、誰が何て言おうと受け入れてみる事にしました」(新島八重)

熊本バンドを受け入れた事は間違っていたのかと悩む襄に、八重が語った台詞です。


「国とは国家の事ではありません。国とはピープル、人々の事です。国を愛する心とは、自分自身を愛するように、目の前にいる他者を愛する事だと、私は信じています」
「型通りでなくてもいい。歩みが遅くてもいい。気骨ある者も大いに結構。良いものは良い。しかし己のために他者を排除する者は、私は断固として許さない!・・・我が同志社は、いかなる生徒も決して辞めさせません」(新島襄)

熊本バンドが突き付けた改革要求に対して、襄が涙ながらに語った台詞です。そして・・・。


「俺は、格好つけんと生徒んために涙流せる先生ば・・・男らしかって思った」(徳富猪一郎)

襄の度量の大きさを思い知らされた熊本バンドでした。


第38回:「西南戦争」より

Yae094 「知性と品格を磨いた女性には、男子以上に、この世の中を変える力があると信じているんですよ」(新島襄)

女学校の時間割を、男子の英学校とほぼ同じにするつもりだった襄が、八重に語った台詞です。


「官だの、賊だの、時の勢い。武士はただ、死に物狂いに戦うばかり。・・・望みがかなった。戦場で斬り死にできる。あ・・・ありがてえ」(佐川官兵衛)

西南戦争で官軍の兵として散った官兵衛が、藤田五郎に語った最期の台詞です。


「今のこの国は、会津人が・・・会津人が流した血の上に出来上がっている!」(山川浩)

「そいを忘れたこつはなか。じゃっどん、もう収めんなならん。内乱は二度とは起こさん。おいが皆、抱いてゆく」(西郷隆盛)

田原坂の戦場ではない場所で、偶然に顔を合わせた山川浩と西郷隆盛。お互いの胸の内をぶつけ合った台詞です。


第39回:「私たちの子ども」より

Yae095 「私が憎いか? だったら元気になって、私に報復したらいいべ。つまんねえ意地を張って死んでしまったら、なじょにもなんねえのだし! 生きねばなんねえのだし!」(新島八重)

戊申戦争の時に八重が撃ち殺したらしき、結核で倒れた小松リツの父親。それで八重の運ぶ食事を食べようとしないリツに、八重が言った台詞です。そのあと襄は、八重も同じ痛みに苦しんで生きて来た事を伝えます。そして・・・。


「それは当然です。あなたは、私たちの子どもですから」(新島襄)

「ないごて八重先生は、あたいの看病を?」と問うリツに応えた、襄の台詞です。リツは八重の食事を食べ始めました。


「私の父は、なじょして死んだ? 弟の三郎は、なじょして殺された? そう思っていたけんじょ・・・、私は、同じ罪を背負っている。この罪は、決して消える事はねえ」(新島八重)

「じゃっどん。罪のなか人間なんち、おっとごわんそかい? 先生、あたいの看病をしっくいやって、命をば救ってくいやって・・・ありがとなし」(小松リツ)

戊申戦争で生まれた深い因縁。しかし、それを乗り越えて心を通じ合う道があると、八重とリツは示したのかもしれません。


素材提供:十五夜空彩雪月花

八重の桜:8月放送分

第31回:「離縁のわけ」より

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「そんじも、話してもらわねえど、その訳だって何にも分がらねえ。困っているなら、教えて欲しい。苦労してんなら、私も一緒に苦労してえ。それが夫婦だべ」
「何でも一人で決めでしまう。尚之助様は、勝手だ。・・・受け入れるより他に、道はねえもの」(川崎八重)

尚之助から去り状が届き、その訳が分からないままの八重の台詞です。


「いいえ。藩命ではございません。これは全て、私の一存にて執り行った事にございます」(川崎尚之助)

斗南藩のための米の買い付けで、詐欺事件に巻き込まれた尚之助。藩の人達を死なせないために、責任をわが身一身に負う覚悟の台詞です。これが去り状の訳でした。


「誰にだって、何だって、訳がある。話してみねば、分かんねえ!」(山本佐久)

覚馬から家族を京に呼び寄せる手紙が届きましたが、ある女との間に赤子が生まれた事も分かり・・・。怒って京には行かないと言う八重に語った、佐久の台詞です。


「私にも、おなごの意地がありやす。旦那様には、赤い櫛が似合っていた頃の私を、覚えていてもらいてえ。みねの事・・・、どうかお願え致しやす」(山本うら)

娘のみねの幸せを考えて、みねは覚馬の許に送り、自分は会津に戻る決断をしたうらの台詞です。


第32回:「兄の見取り図」より

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「新しい国の見取り図だ。俺の仲間たちが見ていた未来だ。国が敗れ、滅び、灰になっても、その中から、身一つで立ち上がる者がきっといる。生き残った俺たちが、やらねばなんねえ」
「新政府が捨てたこの都に、俺は文明の町を作る。武力に押し潰される事のねえ、強え町を」
「学べ。新しい知識を、世界の文明を。これがらは、学問がお前の武器だ。会津が命懸けたこの場所で、俺と戦ってくれ」(山本覚馬)

憎むべき新政府側に協力しているように見えた兄・覚馬の真意を聞き、『管見』の中の「今より以後、男子と同じく学ばすべし」という一条に、新たな進むべき道を見出した八重です。また、八重の桜・京都編のテーマを表わしている台詞でもあるのでしょう。


「いいじゃありませんか、誰の金でも。むしろ大いに利用して金を使ってやればいい。あなたの学問のために。美味い料理をたらふく食うために。捨松さん、あなたの前には、薩摩も長州も関わりのない、広くて豊かな世界が広がってるんですよ」(新島襄)

新政府の国費で留学している事に負い目を感じていた山川捨松に語った、新島襄の台詞です。


第33回:「尚之助との再会」より

「日本はまだよちよち歩きの赤子のようなもの。赤子のうちは理屈より親の助けがいると思わんか? わしは、命懸けで幕府っちゅう錆びついた国を壊してくれた木戸さんらを尊敬しちょる。・・・じゃが、壊しただけじゃ。わしは、壊された荒れ地に新しい国を作るつもりじゃ。そのために、今はまだ強力な指導者が必要なんじゃ! 法を破り罪人と言われようと構わん」(槇村正直)

司法省に捕まった槇村を助けるため、東京にやって来た覚馬と八重。八重が心のどこかで軽蔑していた槇村の胸の中には、実は熱い思いが流れていました。


「権力は政治を動かす道具に過ぎぬ。たかが道具に足を取られて、まともな政ができますか」(山本覚馬)

槇村を巻き込んだ藩閥の権力争いを皮肉って木戸孝允に言った、覚馬の台詞です。


「あなた方には一体どんな新しい国の姿が見えているのですか? 誰もが学校に行げて、病院にかかれて、ドリームが語れる。そんな日本が見だくて、槇村様と兄は、働いでいんのです。・・・槇村様の事、どうかご再考を!」(川崎八重)

憎い長州の木戸孝允と公家の岩倉具視に、八重が本気で頭を下げた時の台詞です。


「私の妻は、鉄砲を撃つおなごです。私の好きな妻は、夫の前を歩く、凛々しい妻です。八重さんの夫になれた事が、私の人生の誇りです。もう二度とここに来てはいけません。あなたは新しい時を生きる人だ。・・・生きなさい」(川崎尚之助)

居所が分かった、裁判中の尚之助を訪ねた八重ですが、自分の道を歩いて行くように言われます。これが二人の最後となるようです。


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第34回:「帰ってきた男」より

Yae084「国が形を変えようと、人間が昔のままじゃ、新しい世は出来ゃあせん。欧米に追い付くには、まず教育じゃ」(木戸孝允)

木戸の勧めで京都に行き、やがて覚馬や八重と出会う事になる新島襄です。きっかけが木戸である事が、何か皮肉で面白いですね。


「この先、日本が間違った道に進まないためには、良心をもった人間が必要です」
「あなたの学校、ぜひ、この京都に作ってください。私が力になります」(山本覚馬)

新島襄と覚馬が、キリスト教に根差した学校の設立に向けて動き出した瞬間の台詞です。


「八重が背負った荷物は、誰にも肩代わりできねえ。乗り越えで行く道は、八重が自分で探すしかねえ」(山本覚馬)

覚馬はそのために、八重に聖書を学ばせていました。


「それぐらいの事、うちでは誰も驚きません。兄も私も、人が反対する事ばっかり、やってきましたから。・・・耶蘇がキリスト教を始めた時も、周りの人達は、そんな考えは間違っていると、こぞって反対したのですよね。でも耶蘇は怯む事なく、教えを広めたと聖書に書いてありました。だったら、同じようにすればよいのです」(山本八重)

山本家に引っ越して来た時に、キリスト教を嫌う人達が押し掛けて迷惑をかけるかもと心配する襄に、八重が言った台詞です。この言葉に襄は、思わず八重にプロポーズします。

 

素材提供:夢幻華亭Kigen空彩十五夜

八重の桜:7月放送分

第27回:「包囲網を突破せよ」より

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「僅かの間に、何もかも変わってしまった」(神保雪)

「お城に戻ったら、八重さんに鉄砲を教えてもらいましょう。・・・やはり、鉄砲は強い」(中野竹子)

八重の二人の友は、時代の波に呑み込まれるように散って行きました。


「敗軍の将たるわしは、腹を切らねばなんねえ。・・・んだげんじょ、死んだ者たちの無念の思いが、このわしの肩に、背に、重くのしかかって、腹切らせねえんだ。『生きて、会津を守れ!』と言うんだ!」
「八重、強ぐなれ。強ぐなんねえと、一足も前には進まねえぞ。うん?」(西郷頼母)

夜回り中の八重に出会った頼母が、その胸の内を語った台詞です。


「今は一兵たりとも、失いたくねえ。・・・やってみっか!」(山川大蔵)

彼岸獅子という奇策によって、一人の兵も失う事なく敵の包囲網を突破して入城した大蔵は、籠城を続ける人達に希望を与えました。


「殿! 勇気を持って、恭順の意、お示し下さりますよう。会津を・・・、会津を助けて下さりませ!」(西郷頼母)

松平容保に開城恭順を説く頼母ですが、拒否され、ついには会津から去るよう命じられてしまいます。しかし、最も冷静に会津の状況を判断していた家老が、頼母だったのかもしれません。


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第28回:「自慢の娘」より

「人にはそれぞれ、道があんだ。なじょしても譲れぬ、道があんだ。臆病者とそしられようと、まっすぐにしか進めぬ、わしの道があんだ。西郷頼母にも、たわまぬ節がある」(西郷頼母)

会津を離れて行く頼母。「お逃げになんのがし!?」と問う八重に、妻・千恵の辞世の中の「たわまぬ節」を使って、心を語った頼母の台詞です。


「お殿さま。一人また一人と、友や仲間をなくしますが、残った者たちで力を合わせ、会津を守るお役に立ちたいと存じます」(川崎八重)

子供の頃から、いつか松平容保のお役に立ちたいと思っていた八重。容保に召し出されて砲弾の仕組みの説明をした後で、その気持ちを述べた台詞です。


「八重が鉄砲を学んだ事は、間違いではなかったがもしんねえ。闇の中でも、小さな穴が一づ開けば、光が一筋、さし込んでくる」(山本権八)

「その穴を開けんのが、八重の鉄砲かもしんねえな」(山本佐久)

初めて権八が、八重の鉄砲を認める言葉を、佐久に語った台詞です。


第29回:「鶴ヶ城開城」より

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「会津は打たれ強い。私は国とは、そこに住む人の事だと思っています。会津は・・・、八重さん、あなたは強い」(川崎尚之助)

新政府軍の猛攻を受ける城の中で、尚之助が八重に言った台詞です。


「八重・・・。にしゃ、わしの誇りだ。皆を守れ」(山本権八)

命懸けで食糧を調達して来た権八が、息を引き取る際に八重に遺した言葉です。


「この上は、この一命をもって、会津を、皆の行く末を守る。・・・何があっても、生き延びよ! 最後の軍命じゃ。生きよ!」(松平容保)

「本当は日本中に言いでえ! 会津は逆賊ではねえ! だげんじょ、それを証明できるのは、殿様しかいねえのです。だから・・・。何があっても、生ぎて下せえまし!」(川崎八重)

切腹して責任を一身に背負う覚悟だった容保と、それでは会津の誇りを守るために死んだ者たちの命が無駄になると止めた八重。降伏間際での主君と家臣たちのギリギリのやり取りのシーンでの台詞です。


「戦に負けても、誇りは失っちゃなんねえ。きれいに渡さねば、会津のおなごの恥だ」(梶原二葉)

妹から、明け渡す城をなぜ掃除するのかと訊かれて、二葉が応えた台詞です。その城に新政府軍が土足で乗り込んで来た時、先頭を行く板垣退助がフト立ち止り、自分達の足跡を振り返って何かを感じ取ったようです。


「あすの夜は 何国の誰か ながむらむ なれし御城に 残す月かげ」(川崎八重)

降伏式のあった夜に、八重が城内の壁に書いた辞世のつもり(?)の歌です。八重は男たちに交じって、殺されるかもしれない謹慎所に向かう覚悟でした。しかし・・・。
 

「女だ! 女が紛れてるぞ!」(川崎尚之助)

妻を救うために、わざと尚之助が叫んだ台詞です。尚之助が選んだのは、愛するがゆえの別れだったのかもしれません。


「消えだ。何もかも。・・・そんじも空は、変わらねえのか」(川崎八重)

この台詞で、ドラマは大きな区切りを迎えました。


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第30回:「再起への道」より

「わしは、生きる。千恵。わしは生きっぞう・・・。わしらの会津を踏み潰してった奴らが、どんな世の中作んのか、この目で見届けてやる」(西郷頼母)

箱館での戊辰戦争の終結時に、榎本武揚と共に新政府軍に降る頼母が、妻・千恵の辞世に語りかけた台詞です。
 

「何にも、情けなぐねえ。今は、生ぎ抜ぐ事が戦だ。・・・生ぎていれば、いつかきっと会津に帰れる。それを支えに、生ぎていくべ」(川崎八重)

金持ちの商人の囲い者になり、賊徒の親子と愚弄されても息子のために生き抜いている千代に、八重が語った台詞です。
 

「見よ! 戦うという字だ。我等は会津武士。戦い続けて、いつの日か、故郷の土地と会津の名を奪い返す!」
「北辺の地に強国を作る。反撃の狼煙をあげんのは、その時だ! どの地もすべて、戦場と思え!」(山川大蔵)

新しい藩名「斗南」の「斗」を指して、不満を口にする藩士たちを大蔵が説得した台詞です。
 

「今でも、三郎の、おとっつぁまの、死んだみんなの無念を晴らしてえ。んだげんじょ、恨みを支えにしていては、後ろを向くばかりで前には進めねえのだし・・・」(川崎八重)

斗南に来ないかという大蔵の誘いを、八重が断わった台詞です。「今、斗南に行ったら、私はまだ、恨みに縛られ、がんじがらめになる・・・。」(完全小説版『八重の桜 第3巻』P.139)という怖れと、前向きに生きようという意思とが反映されているのでしょう。その前向きに生きる意思が・・・。
 

「んだら、今日も頑張んべ!」(川崎八重)

反物の行商に出かける、八重のこの台詞に表われているようです。
 


素材提供:十五夜空彩

八重の桜:6月放送分

第22回:「弟のかたき」より

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「仇は私が討づ!」(川崎八重)

三郎の戦死を知らされて、八重が尚之助に叫んだ台詞です。


「会津は、あくまで恭順を貫く。・・・もとより朝廷に刃向かう心はない。ただし! 攻めて来るならば、全藩をもってこれと戦う!」(松平容保)

この決断で、会津は軍制改革をして戦支度を始める事になります。


「私が行けば良かったんだし! 三郎より、私の方がずっと強えんだがら! 戦には私が・・・三郎―っ!」(川崎八重)

尚之助の腕の中で泣いて、三郎の死をやっと受け止めた八重です。


「この江戸市中は、火の海になる。考えてみてくれ。あの屋根の一つ一つの下には、人間が住んでいるんだぜ。戦とは関わりのない、無辜(むこ)の民だ! あんたがつくろうとしている新国家は、そんな人たちから、家や命を奪うのか!? それが、あんたの目指す国づくりか!?」(勝海舟)

勝海舟の巧みな説得で、江戸城総攻めを取りやめる決断をした西郷吉之助です。


「俺の首を斬れ! 俺を斬って、会津を助けでくれ!」(山本覚馬)

牢に会いに来て、去って行く西郷の背に、覚馬が叫んだ台詞です。


第23回:「会津を救え」より

「思いっきり、振ってみなんしょ。体が動けば、心も一緒に動き出しやす。縮こまっていでも、良い事は何もねえ」(川崎八重)

「やってみんべ。みねは、旦那様からの大事な預かりものだ。強え会津のおなごに育てねえと、後で旦那様に叱られっつまう」(山本うら)

覚馬の消息不明の報に落ち込んで家に籠っていたうらを、八重が薙刀道場へ連れて行った時の台詞です。そこへ神保修理の死の哀しみを超えて生きようとする雪が現われ、うらの気持ちも変わりました。
完全小説版の『八重の桜 第2巻』には、この時の八重の気持ちが解説されています。印象深い文なので、引用してみます。
「稽古が進むにつれ、うらの額に汗が光りはじめた。八重は共に薙刀をふりながら、安堵していた。何があっても自分を見失ってはならない。絶望に、心を譲り渡してはならない。悲しみに心が呑みこまれてしまえば、人は闇の中で生きるしかない。自分をいたわり、できることをする。たとえ愛する人を失っても、人はそうして自分の足で立って生きていくしかないのだと、八重は思う。」(P.238)


「そなたが仕えてきたのは、徳川幕府だ。わしではない。・・・わしに家臣がいたろうか? 会津のように、君臣一体となる家臣が・・・」(徳川慶喜)

江戸城を明け渡す日に、慶喜が勝海舟に問いかけた台詞です。


「これも戦だ。怯んではなんねえ。やんべし!」(川崎八重)

傷病兵の治療の手伝いに行った八重が、その無残な光景を前にした台詞です。八重が後年に従軍の篤志看護婦になる事を暗示するような言葉でした。


「立ち上がれ・・・。そうが・・・。まだある! 俺に出来る事が、まだ一つだけ!」(山本覚馬)

牢の中で、「ただ身一つで立ち上がればよい!・・・立ち上がれ!」と吉田松陰の声が聞こえた覚馬。何か新しい使命に目覚めたようです。


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第24回:「二本松少年隊の悲劇」より

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「言葉はみんな、ここにある! ここにあるもんは、誰にも奪えねえ!」(山本覚馬)

牢番に何度破り捨てられても、獄中で新国家への意見書「管見」を書き続ける覚馬が、自らの胸を叩いて言った台詞です。この覚馬の気迫は、やがて周りをも味方に変えて行きます。


「あなた方のつくる新しい国は、踏み出したその一歩から、既にゆがんでおる。誰のための国づくりぞ。とくとお考えあれ」(松平春嶽)

会津討伐取り止めの建白書を持って京都太政官までやって来た松平春嶽が、岩倉具視や木戸孝允に言った台詞です。
 


「敗れても、滅んでも・・・、まだ残るものはある!」(山本覚馬)

「管見」を書き上げて時栄に託した覚馬が、会津と日本の未来を思ってつぶやいた台詞です。


「二本松は、敵に寝返って生き延びるより、死すども、同盟への信義を貫ぐ道を選んだ! 誇りを持って戦え!」(木村銃太郎)

隊長の木村銃太郎が戦闘開始前に、二本松少年隊士たちに向かって言った台詞です。しかし、隊は悲劇的な結末を迎える事になります。


 
第25回:「白虎隊出陣」より

「今会津を・・・! 今会津を見捨てるのは、義にあらず。生死を共にした仲間を捨てるには、士道に背きます」(斎藤一)

会津に戻って共に戦うのは「死にに帰るようなもんだ!」と言う土方歳三に、斎藤が応えた台詞です。


「まともに撃ち合って、無駄に死んではなんねえ!」(川崎八重)

白虎隊の銃が新政府軍より劣っている事を見抜いた八重。伊東悌次郎ら白虎隊士たちに思わず叫んでいた台詞です。


「家並みのお触れが回ったからには、おなごも子どもも力を合わせて、お城を守るという事だ。みんなで、会津を守るんだ」(山本佐久)

死ぬ覚悟なのではないかと心配する女中のお吉に、佐久が言った台詞です。


「私は三郎と一緒にお城にあがりやす。今から私が三郎だ。逆賊呼ばわりして、会津を滅ぼしに来る者たちを、私は許さねえ。・・・私は、戦う」(川崎八重)

弟の三郎の遺品の軍服を着て、三郎として戦いに加わろうと決意した八重の台詞です。


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第26回:「八重、決戦のとき」より

「私は、弟の魂と共に戦う覚悟にごぜえます」(川崎八重)

「弟と共に・・・。では、その鉄砲に会津武士の魂を込めよ」(照姫)

義弟の松平容保と共に戦う気持ちの照姫には、戦いの最前線に向かう八重に自らの姿が重なった事でしょう。


「男もおなごもねえ! これは、会津全ての戦いだ!」
「敵にはお城は渡さぬ。仲間がやられんのを、黙って見るつもりはねえ! 私たちの大事なふるさと、会津は、この手で守る!」(川崎八重)

鉄砲隊を指揮して戦いに加わりたいと訴える、八重の叫びの台詞です。


「そんな非道な力には、死んでも屈しねえ! この事、命を捨てて示すのが、西郷家の役目だ」(西郷千恵)

西郷家の女たちが揃って自刃するに際して、その大義を千恵が語った台詞です。


「我ら最後に、徳川のためでも、幕府のためでもなく、会津のための戦をしたのだ。これ以上の名誉な事はねえ」(神保内蔵助)

「ああ。我らは幸せ者だ。・・・修理も腹切った時は、きっと同じ思いだったべ」(田中土佐)

家老の神保内蔵助と田中土佐とが、共に自刃する際に語った台詞です。
この回は、後世に語り継がれる悲劇の中で見せた、会津人の誇りが際立っていました。・・・そして会津戦争は、命懸けの籠城戦になって行きます。

 


素材提供:薫風館Kigen空彩

八重の桜:5月放送分

 毎月1日に投稿しておりましたが、もう少し早く、最終日曜日の翌日の月曜日の投稿に変えさせて頂きます。

第18回:「尚之助との旅」より

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「日本が劣っているとは到底思いやせん。技術を学びさえすりゃあ異国に負ける事はねえものと思いやす。ようは志です。・・・ただご公儀の役人は、その志を見失っている。人材が入り用な時に、肩書きに拘るあの心の狭さでは、この先この国の舵取りは難しいものと思われます」(山川大蔵)

外国奉行の共をして外国を回ってきた大蔵が、率直な感想を覚馬や秋月に語った台詞です。


「秘訣は、目を開けようとしねえ事です。目の事は忘れて、弾の行方だけ追えばいいんだし」(川崎八重)

銃を撃つ時に目を閉じる悪い癖のある少年に、同じ癖のあった八重が教えた台詞です。目的意識をしっかり持っていれば、細かい欠点は自然と直ってくる。この秘訣は、意外と普遍性のある話なのかもしれません。


「一つだめなら、また次の手を打つまでです。金がなくても、出来る事はあるはずだ」(川崎尚之助)

会津藩士となった尚之助の建白は、財政の余裕がないのですぐには取り掛かれないとの返事でした。諦めない尚之助が、八重に語った台詞です。


第19回:「慶喜の誤算」より

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「鉄砲は命のやり取りをする道具だ。形だけ真似ても、胆が出来てねえと、使いこなす事は出来ねえ」(川崎八重)

伊東悌次郎と高木盛之輔に、厳しく銃の指導をする八重の台詞です。


「日本を神武創業のはじめに戻す。2500年も遡れば、たかが300年の徳川など、一息に吹き飛ぶわ! 皇国を、いったん更地にして、一から作り直すのや!」(岩倉具視)

王政復古の真の意味を語った岩倉具視の台詞です。岩倉の言う「たかが300年の徳川」に因っている事も、同時に意味を失う事になるのでしょう。


「幾らかでも見えてる内は、洋学所は休めねえ。この目では銃は撃てねえ。んだげんじょ、教える事ならまだ出来る。幾らかは、会津のお役に立てます」(山本覚馬)

覚馬の目を気遣って宿所を移る事を勧める大砲奉行の林に語った、覚馬の台詞です。


「何も難しか事はなか。短刀一本あれば、片の付っ事じゃなかか」(西郷吉之助)

阻む者は刺し殺してでも進む、この気迫が朝議で徳川擁護派を押さえ込み、徳川の治政を覆す決定が下されました。そして徳川慶喜は、松平容保らを連れて都を離れ、大坂に下る事になりました。


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第20回:「開戦!鳥羽伏見」より

「人は変わる事を恐れるもんじゃっでな。どげな悪か世でん、知らん世界よりは良かち思いたがる。260年の眠りから国を揺り起こすには、よほどの事をばせんなならん」
「国をば更地に戻すには、血も流さんなならん」(西郷吉之助)

前回の岩倉具視とあわせて、なぜ戊辰戦争が起きたのかをうかがわせる台詞です。


「その修練が、会津の心となって、弾に込もるのですね」
「男なれば、魂を込めた薙刀を取って都に馳せ参ずるものを。国許で案ずることしかできぬのが、口惜しくてなりませぬ」(中野竹子)

「そんじも、腕は磨いておがねば。いづか、お役に立てる時が来っかもしんねえがら」
「竹子さまと私、使う道具は違うげんじょ、思いは一つですね」(川崎八重)

角場で八重の銃の腕に感服した竹子。似た物同士ゆえにライバル関係だった二人が、心を通わせ合った台詞です。


「やせ我慢するな。今のうち思いっきり怖がっとけ。一発銃声が響いだら、もう怖がってる暇はねえぞ!」(林権助)

初陣で敵兵を目前にして強がってみせる三郎に、大砲奉行の林が言った台詞です。林はこの後、壮絶な最期を遂げる事になります。


第21回:「敗戦の責任」より

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「山本家の男として、兄に代わって働きとうごぜえます! 姉上も、力を貸してくれます。・・・これをこさえでくれやした」(山本三郎)

難所の最前線で戦いたいと、三郎が難を転ずる南天の刺繍を見せて、山川大蔵に言った台詞です。しかしこの後、三郎は命を落とす事に・・・。


「敗れたままでは、殿がお城から逃げたままでは、会津の誇りは・・・」
「皆で戦えば、負げたままでは終わんねえ。ならぬことは、ならぬのです!」(川崎八重)

会津が朝敵になる危機的状況において、八重の闘争心に火が付き始めて来ました。


「殿は、全てを分かっていて下さる。・・・それで、十分ではないか・・・」(神保修理)

敗戦の責任を一身に背負って切腹した、修理の台詞です。

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素材提供:十五夜Kigen

八重の桜:4月放送分

第14回:「新しい日々へ」より

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「もうしばらくの辛抱じゃ。・・・これを成し遂げたら、皆で会津に帰ろう。磐梯山が見守る、故郷へ」(松平容保)

将軍上洛による長州征討によって公武一和が成るまでは都を守る、という決意を家臣らに語った容保の台詞です。


「いさかい一つしなかったげんじょ、私は一度、喧嘩してみたかった。叱られてみたかったし、困らせてもみたかった。・・・旦那様が都からお戻りになったら、私はもう一遍、初めから夫婦をやり直してえ」(神保雪)

仲良い夫婦だと思われていた修理と雪でしたが、よく話を聞いてみると、嫁いですぐに都に上る事になった夫を、早く良い嫁になって送り出そうと無理していたようです。・・・後の修理と雪の運命を考えると、切なくなる台詞です。


「世間並みなんぞならなくて結構。あなたはあなたであればよい!・・・私の妻は他の誰でもない、鉄砲の名人、八重さんだ。それでよい」(川崎尚之助)

世間並みの奥方とやらになろうと、無理して鉄砲から離れていた八重を叱った、尚之助の台詞です。


「新しい力は、二人のように古い秩序に縛られぬ者の中から生まれると、わしは信ずる」(秋月悌次郎)

蝦夷地出向の命が下った秋月が旅立つ前に、八重と尚之助に会津の未来を託した台詞です。


第15回:「薩長の密約」より

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「もはや、徳川だけに国を任せちゃおられん。そん思いは、薩摩も同じごわんで。そんために組むべき相手は、会津じゃなか。桂さあ、手をば組みもんそ。お望みの洋式銃を、薩摩名義で調達致しもす。そいで、信用しっくいやんせ」(西郷吉之助)

薩長の密約が結ばれた時の台詞です。これが会津藩の運命を大きく変える事になります。


「ばかもん。眼病の事、なじょして早く報告しねえ。・・・にしゃの目は、会津になくてはならん。治す事もお役目と思え!」(田中土佐)

家老の土佐が山本覚馬に、長崎でオランダの眼病の専門医に診てもらうように命じた台詞です。


第16回:「遠ざかる背中」より

「うらは、己に厳しくしてたんだ。甘やかして弱い子に育てたら、覚馬に申し訳ねえがらと。可愛いみねを、怖い顔して叱んのは、うらも辛かったべ」(山本佐久)

八重は、義姉のうらがみねに厳し過ぎるように思っていましたが、母の佐久はうらの気持ちが分かっていました。


「幕臣も外様もねえ! 外を見ろ! 世界に目を向けてみろ! いいか、日本は小せえ国だ。内乱なんぞしてたら、たちまち西欧列強に食いつぶされる。徳川一家の繁栄と、日本国の存亡。秤に掛けて、どっちが重いかよく考えてみろ」(勝海舟)

徳川慶喜に長州征伐の出陣を促す松平容保の書状を届けに、二条城を訪れた山本覚馬と山川大蔵ですが、勝海舟の言葉が胸に突き刺さりました。


「我らは、重い荷を背負うた者同士。ご先祖代々、守り、培ってきたものを、両肩に背負うて歩んでゆかねばならん。その苦しさを、まことに分かち合えたのは、そなた一人であった」
 
「会津から教わった。武士の誠は、義の重きにつく事にあると。・・・長い間、誠を尽くしてくれて、ありがとう」(孝明天皇)

孝明天皇が、松平容保に語った台詞です。しかし孝明天皇は間もなく突然に崩御し、容保は心の支えを失ったまま時代の渦に巻き込まれて行く事になります。


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第17回:「長崎からの贈り物」より

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「私は、五体のすべてをかけて、殿にお仕えしています。それは覚馬さんも、同じはずだ!・・・たとえ光を失ったとしても、銃を知るこの手がある。学んだ知識や、身に染み込んだ魂を、会津のために使えばいい。覚馬さん、しっかりしっせえ!」(神保修理)

失明という現実を前に、大切な事を見失いかけていた覚馬に言った、修理の台詞です。


「異人も日本人もねえな。同じ人の子、人の親だ。・・・何をやってんだ、俺は。苛立って、話をぶち壊した」(山本覚馬)

非礼を素直に武器商人のレーマンに詫びた覚馬。そこから二人の友情が始まりました。


「贈り物です。会津への信頼の証に。銃の事よく知っている人に、使ってもらってください」(カール・レーマン)

覚馬が贈られた、売り物ではなかったスペンサー銃です。八重が覚馬から託されて、会津戦争で使う事になる銃は、こういういわれがありました。


素材提供:薫風館空彩十五夜

『八重の桜』第2巻を読んで

Sakura_23 完全小説版『八重の桜』の第2巻で、6月9日放送分の第23話まで読み終えました。
 いやぁ・・・戊辰戦争で負ける側の会津藩の話だから、ある程度は予想していた事とはいえ、回を追う毎に話の内容がどんどん緊迫して、重くなって行きますねぇ。重要な登場人物の何人もが悲劇的な最期を遂げ、読んでいても辛くなるようなシーンが、いくつも出て来ますし・・・。
 これからドラマ折り返しの6月末頃までは、ちょっと心して番組を見る必要があるかも、と感じました。



素材提供:薫風館

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